増崎慶太
Weekend株式会社 代表取締役CEO

増崎慶太

Bluebookは、人と人とをリアルに繋ぐプラットフォームです。
起業家
福岡市中央区港

Introduce

20代は法律の研究を。
30代は日産でカーデザイナーを。
そして40代。
2015年夏に日産を退職し、福岡へ移住。
半年間のプログラミングの職業訓練を経て起業しました。

この話をするとよく、何故そんな劇的な転身をしたの?と聞かれます。
なので、この場を借りて僕のあの頃の物語をお話しします。

この物語には、僕が「Bluebook」というサービスをやろうと思った原点が詰まっています。少々長いですが、是非お付き合い下さい。

【第1章:カーデザイナーへの挑戦をスタートするまで】
*自ら考えて人生を選ぶことが全く無かった。
*自分の人生が楽しくない理由に気付く。

弁護士になることを目標に大学院で法律を研究していた僕は、いつもイライラしていました。好きでもなく得意でもない研究や勉強を必死にやって(いや、やっているフリをし)無理をして、そのイライラを他人にぶつけて嫌われて。

まともな人間関係を築ける訳がありません。人生が全く楽しくありませんでした。
    
僕は子供の頃、自分で言うのもなんですが、健気ないい子でした。
親の期待に応えたいと思っている事に気付く事もないまま親が僕の為にと敷いたレールの上を真っしぐらに進んでいました。

20代半ばになり、人生が本当に苦しくて堪らなくなり、息をするのも苦しくなり、ようやくこの事に初めて気付いたのでした。
   
それまで自分で一切物事の判断をすることなしに生きて来た僕は、清水の舞台から飛び降りる様に自分の人生を生きる決断をしました。
   
そうしなければ、生き続けられなかった。
僕の決断を嘆いた親からは当然、勘当です。

【第2章:カーデザイナーへの道(国内編)】
*今につながる原点。
*答えを誰も知らない。だから自分の頭で考える、行動する。
*人と会うことで、突破口が開ける。

僕は以前から関心のあった職業3つ。
ファッションデザイナー、カーデザイナー、建築家、の中から一番難しそうなカーデザイナーになる道を選択し、27歳からの挑戦を始めました。

退路を絶って死ぬ気の挑戦でした。

大学院で法律を研究していた人間が、どうしたら突然カーデザイナーになれるかなど誰も知りません。みんなが反対しました。だから必死に自分の頭で考えました。

まずはプロのカーデザイナーに会って、どうやったらなれるのか聞いてみようと僕は思い立ちました。

当時通っていた中央大学大学院から自転車で行ける範囲に三菱自動車のデザインスタジオがあることを僕は知っていたので、電話帳で調べて唐突に電話をしました。

電話に出てくれた教育担当課長の方は、僕を門前払いすることなく、時間を決めて会う約束をしてくれました。
そうして後日、自転車をかっ飛ばして話を聞きに行きました。

その課長さんは、中央大学大学院で法律を研究しているにも関わらず、カーデザイナーになりたいと必死で話をする変な学生(僕のことです)に親切に対応してくれました。

カーデザイナーになるのなら千葉にTCAという専門学校があって多くのカーデザイナーを輩出しているから、是非そこの先生の話も聞きに行くといいよ、と教えてくれ、その場でアポまで取ってくれました。
   
次の週には早速そのTCAの副校長先生に会いに行きました。
学校のカリキュラムを丁寧に教えてくれて学生のデモまで見せてくれて、おまけに帰りがけにはお土産にと、自動車好きの間では有名なCGという雑誌をもらいました(写真を載せています。今も大切に保存しています)。
実は、これが運命の出会いでした。

副校長先生はそのCGという雑誌にTCAが紹介されているから、僕にくれたのだけれど、せっかくもらったからと全部読んでみました。

そこにはBMWの永島さんというカーデザイナーの方のエッセイが載っていて、アメリカのミシガン州デトロイトにある州立大学(Wayne state university)大学院を出てカーデザイナーになった話が載っていたのです。

「これだ!!」と思いました。

というのがどこでカーデザインを学べばいいのか調べるために、日本の美術系大学を手当たり次第訪ねたりもしていたのですが、法学研究科を修了見込のその時点でデザインやアートと全く縁のない27才の僕はすべて冷たく門前払いされていたのです。


でも冷静によく考えてみると、日本の美術大学を卒業する頃には30才前後になっているよく分からない新卒を日本の自動車メーカーが採用する可能性は非常に低いのです。

カーデザイナーになる可能性を少しでも広げるためには門を叩ける自動車メーカーの数を増やす必要がある、即ち英語を話せるようになって欧米の自動車メーカーの門も叩けるようにならないといけない、
という結論にその頃の僕は達していました。

でも、海外でカーデザインを学び英語が話せるようになりたいが海外のアートスクールは私立で学費がバカ高いからとてもじゃないが入れない、どうすればいいだろうと完全に手詰まりになっていました。

まさにこの頃にCGを読んでWayne state州立大学のことを知り、藁にもすがる思いでこの学校に賭けることにしました。

【第3章:カーデザイナーへの道(デトロイト篇)】
*トヨタ九州工場で初の院卒期間工として必死に働いてお金を貯める。
*デトロイトに到着して一週間後が9.11テロ(激動の留学生活スタート)。
*渡米1ヶ月後には、当初の前提が崩れ州立大学付属語学学校をドロップアウト
*ダメ元で別のアートスクール入学事務局に掛け合い、願書締切期限延長に成功
*二週間徹夜で作品を完成させアートスクールに提出。
多額の奨学金を得て合格。


そうと決めた僕は、資金を作る事を考えました。
それまでの親の手厚い援助はありません。

いっそカーデザイナーになるのだったら車がどんな風に作られているかも知っていた方がいいだろうと思い、トヨタの九州工場で期間工をやりました。
恥ずかしい話、工場に入って1週間と経たない内に車が大嫌いになりました。それほどにキツかったのです。しかし、退路を断っていてもうここで辞めるわけにいかなかった僕は、どうにか自分を立て直し、乗り切りました。

入学に必要なTOEFLの点数もどうにか取り入学手続きも自力でやって、住むところも決めないまま片道切符でアメリカはデトロイトに渡りました。今思えば半分やけくそでした。

その後は、今まで話した以上に波乱万丈なアメリカ滞在生活を経て(渡米1週間後が9.11のテロでした)、当初目指していたWayne state universityのワンブロック隣にあるCollege for Creative Studiesというカーデザインで有名な名門アートスクールにGMの奨学金数百万をもらい入学。猛勉強の後、2年生の終わりに日産自動車でインターンシップをした後直ぐに日産からオファーをもらい、CCSを中退。日本に戻り、日産のカーデザイナーになりました。

本当にカーデザイナーになれたときは、想像よりもずっと早くふわっと結果が現れて、なぜか戸惑ったことを今でも鮮明に覚えています。

10年あまり日産で量産車・ショーカーのデザインに関わるとともにFuture Labという特殊部隊みたいなチームで経営陣に新規事業や車の新しいコンセプトを提案する仕事をしたのち、2015年夏に日産を退社、現在は起業家をしています。

どうしてそこまで頑張ってカーデザイナーになったのにもかかわらず辞めてしまったのだろう?と思われると思います。その理由についてはまた今度。

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Hobby

【自転車について】
福岡に移住してから10年ぶりに自転車生活を再開しました。

今の愛車(自転車)はTrek 5200です。
日産時代の同僚のツテで、20年以上オーナーに愛されて丁寧に乗られていた90年代後半の、当時としては画期的なフルカーボン、トライアスロン用ロードレーサーを格安で譲ってもらって乗っています(写真載せています)。



また、20代はCannondaleのマウンテンバイクで、過ごしました。この自転車で、東京→佐賀間を半月ほどかけて旅したこともあるし、車社会のアメリカで車を買うお金がなかったので、輪行バックにこの子を入れてデトロイトにまで連れて行って、真冬のクソ寒いデトロイトのダウンタウンをこのマウンテンバイクで駆け抜けて、地元の人から狂気の沙汰かと言う目で見られていたのも遠い昔の話です(ある種危険地帯なので)。。。。

でも自分の中ではなぜか趣味とは呼べません。

【釣りについて】
2018年の7月から釣りを始めました。
シーバスとチヌが釣りたくて、タックル(釣り道具)を買い揃え、近くの港へ足繁く通い詰めています。

PEラインとショックリーダーの結びで苦戦し、どうにか結べるようになったかと思うと今度は、キャスト時のライントラブルに泣く。
はたまた釣り具屋さんにある、膨大な種類のルアーからどれを選べば良いかもわからず暗中模索の日々。

トライアンドエラーを繰り返す中で、先日とうとうシーバスを釣り上げることができました。一度釣ることが出来ると不思議と次から釣ることのハードルが下がるもので、今はサゴシ(サワラの子供)が湾内に入ってきていて、毎日サゴシ祭りです。釣った魚は、家に帰って、自分で全て3枚に下ろすところまでやって、家族の食生活にも貢献しています笑

釣りをしている際は、狩猟本能にスイッチが入るからだと思うのですが、他のことは一切スパッと忘れることができます。

好きでやっているBluebook。
ついつい起きている間は365日Bluebookのことを考えてしまいます。僕にとって、頭を空っぽにできる釣りは、頭を休めて心身のバランスを取ることが出来る、とても貴重な趣味になっています。
釣り上げたシーバス(スズキのことです)とサゴシの写真と、スズキを自分で捌いて家族のために作ったお刺身の写真を載せています。

【車について】
カーデザイナーをしていた位なので、車や自転車は大好きです。
マイカーは、カーデザイナー卒業記念に買ったリーフ。

神奈川のディーラーで受け取り、福岡までぶっ通し25時間、17回の充電を経て福岡に連れてきた子で、鬼のように仕事の出来る先輩カーデザイナーとともに数年開発に携わった思い出の車です。


カーデザインについて語りだすと止まりません。
カーデザインに興味がある方がいれば、ぜひ声をかけて下さい。
    
実は、『考えること』が趣味と呼べるほど好きなのですが、一般的ではないですよね。


2017年8月には、10数年ぶりにランニングを再開しました。デザイナーなのでやはりこだわってしまいます。散々探して、スイスのブランド「On」に辿り着き、福岡には扱っているお店もないので、オンラインストアでオーダーしました。写真載せていますが、他のよく知られたブランドとは一線を画するスタイリングがかっこいいですし、何より想像以上に履き心地が良くオススメです。

旅も実は大好きで、20カ国程度訪ねていると思いますが、長くなると思うのでまたの機会に。
  
【緑について】
釣りを始めるまで、僕が胸を張って趣味と言えるのは、緑を育てることだけだったように思います。
  

不思議なもので、10代までは、庭の手入れに勤しむ両親を見て、何が楽しいのだろう?よくわからん、と思っていたのですが、気が付いてみたら、ちょっとした暇があったら草木に水をやり、ただ眺めては心和ませています。

  
日産でカーデザイナーをしていた頃は、神奈川県の大磯で古民家暮らしをして、100坪はある敷地に家族と一緒に芝生を植えて、野菜や草花を育てて、と今思えば夢のような暮らしをしていました(写真載せています)。
緑を育てていて僕が思うのは、人には遺伝子レベルで何かを育てることに喜びを感じるように設計されているのではないか、ということです。それくらい、草木が元気に成長している様子や、水をもらうと嬉しそうにしてくれる草木は、僕を和ませてくれます。


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Policy

自分の人生を生きること。


得意なこと
ワクワクすること
自分の好きなこと


これらをベースにした仕事を選び、誰かに喜んでもらえるように必死に仕事を頑張る。他人から見たら、それは、ただ苦労しているように見えるかもしれないけれど、本人は好きなことをやっているから案外楽しんでやっています。


自分が得意なこと、わくわくすること、好きなことで誰かに喜んでもらう。
「利他」なのですが、それが自分にとって一番喜びを感じるのだから結局自分に返ってきます。
       
そこに僕は「生きる喜び」があると思っています。
          
少しでも多くの人が、これらをベースとした仕事をして「生きる喜び」を感じることができる仕組みを僕は作りたいと思って、「Bluebook」をやっています。

History

1974
誕生。幼稚園年中あたりで伊万里に引っ越すまで東京の高円寺で育つ。隣の家のリョウコちゃんといつも一緒に遊んでいたそう。
1978
東京から伊万里へ引っ越す
1979
この辺りから記憶がある。幼稚園の頃には運動もできず、気が弱いのび太キャラ。周りにジャイアン(名前は植崎)やスネ夫(名前は岸川)はいたが、ドラえもんはおらず。
1980
小学校入学。右も左もわからない。唯一覚えているのは、プールの授業で、水面に顔をつけることができるようになったので(クラスで最後!)、その日の余った給食のデザートをもらったこと。恥ずかしかったけど、美味しかった。
1982
小学生の低学年の頃は、何回か0点を取っていたらしい。脳のシナプスがまだまだ繋がっていなかった模様。
1983
伊万里で過ごした小学校時代はとにかく弟と一緒に、自然で遊ぶ。春は、有田川に登ってくるシラウオ取り。持って帰って母親が作ってくれるシラウオの吸い物が美味しかった。夏は同じく有田川でしじみ取り。バケツ一杯採っていた。漁業権とかあったと思うけど、子供だから許されていた?夏の楽しみは、夜、弟とこっそり抜け出して、月明かりを頼りに20分ほど離れた場所にある雑木林でカブトムシ・クワガタ採取。スズキやうなぎを川で手づかみで獲ることも。今思えば生き物と戯れる子供時代だったと思う。
1986
中学校入学。この頃には、ある種覚醒して勉強はある程度できるように。でも中学から高校の約6年間は暗黒時代。
1990
高校入学。地元を離れ、佐賀に新設された中高一貫の進学校へ。
1993
大学受験失敗。浪人生となり北九州予備校へ行くも、勉強に身が入らず。医学部志望だったにも関わらず、熊本大学法学部に入学。今思えば、親が期待していたレールに乗るために必死だった時代。
1994
熊本大学時代は、バイトに明け暮れ、稼いだお金ありったけを服の購入に費やす。熊本には独特の文化がありおしゃれな人も多く、上通りアーケード界隈の服屋さんの店員さんと仲良くなり足繁く通う。
1996
中央大学大学院法学研究科へ進学。
1999
修士論文をどうにか書き上げ、大学院修了。その後、トヨタ九州の自動車工場で期間工として働く。あまりに過酷な労働にカーデザイナーになりたい気持ちが中折れしかかる。
2001
渡米(ミシガン州デトロイトへ)。到着して、1週間後のWayne State 大学付属語学学校の授業初日が9.11のテロの日。
2002
1月、College for Creative Studies 入学。カーデザイナーになりたいと世界中から多種多様なバックグラウンドを持った学生が集まっているアートスクールの環境に感激する。
2003
アートスクールでは毎日とんでもない量の宿題が出るので、日々徹夜の連続。この頃の日課は国際遠距離恋愛をしていた今の妻との徹夜明けの国際電話。今のようにmessengerやlineといった便利なコミュニケーション手段がなかったので大変だったが、今となっては懐かしい思い出。
2004
日産自動車入社。念願のカーデザイナーになる。
2015
日産自動車退社。福岡に移住して、プログラミングを半年間職業訓練で必死に学ぶ。
2017
起業家万博に九州代表として出場。日本マイクロソフト賞をもらう。副賞はMicrosoftの起業家支援プログラムBizsparkプラス(1400万円相当のMicrosoft各種クラウドサービスが無償提供)
2017
Weekend株式会社設立
2018
7月 Bluebook一般公開スタート。

【自分の人生をデザインする】

僕は起業家である前に、デザイナーです。
デザインをもっと多くの人に知ってもらって、人生を生きる上での武器にして欲しいと願っています。また、多くの人がデザインを何かカッコよくすることといった表層的な捉え方をしている人が多くてもったいないな、とも思っています。

福岡に移住して程ない頃「元日産カーデザイナーで起業家が語るABCデザイン原論」と銘打って、関西や福岡の大学で何度か講演したり、ワークショップを主催しました。毎回好評で、デザインってなんだろうって悩んでいたのがすっきりした!と言ってもらえることも多く出来ればもっと続けたかったのですが、現在は今の仕事で精一杯なので、休止しています。
そこで、この場を借りて「デザイン」とは、について少しお話したいと思います。

心配しないでください、とても簡単なので。
まず最初に、Designは日本語で「意匠」と言います。
一般的に「意匠」は表面的な装飾のことを指すことが多いですが、実はよく練られた言葉で、ここにデザインの行為がぎゅっと凝縮されています。で、この「意匠」を分解すると、「意」と「匠」。

これを英語に変換すると、
「意」は「Concept」
「匠」は「Styling」

ということは、Design=Concept+Styling
すなわち、(対象となるユーザーを規定した上で)こんなことを実現したい、というコンセプトをしっかり作って、それに基づいて、こと・ものを創ることがデザインという行為なのです。

実は、Bluebookも、自分の人生の(こんな風に生きたいという)コンセプトを定めて、それをスタイリングする(=実現する)お手伝いをするサービス、すなわち人生をデザインするためのサービスを目指しています。

あなたは自分の人生をデザインしていますか?

【サービスとは何か_これからのBluebookについて】

僕が、起業家になって以来ずっと向き合ってきたことが、「サービス」って何だろう?ということです。
そして、この頃僕なりの答えが見えてきたので、ご紹介します。

「何かを得るための面倒くさいプロセスを最小化するための仕組み」

これが今僕が辿りついた答えです。
例えば、Airbnb。
実に良く出来たサービスですが、どうしてもお金が必要でいかなる労力も厭わない人は、Airbnbが無くともどうにか自分の家の空いた空間でお金を生み出そうとすると思います。
えいやっとメルカリに自分の部屋を掲載して、1日いくらで貸します、とアップしてみるかもしれません。うまく行くかどうかは問題ではありません。
ちなみにAirbnbの創業者は、シンプルなwebsiteを見よう見まねで作って、借りる人を募りました。
こういう人は、Airbnbのターゲットカスタマーではありません。

殆どの人は、がむしゃらに色んなことを試して状況を打開しようというところまで至りません。
日々様々なこと(仕事、家事、人付き合い、スマホやSNS等々)に忙殺され過ぎていて、余裕がないのも当然です。
そこで、こういう大多数の人のためにサービスが必要となります。

そういう意味では、これまでのBluebookは胸を張って「サービス」だとは言えなかった様に思います。コンテンツを載せることも大変だし、Bluebookを活用することも各人の自助努力に委ねられていました。

Bluebookの次のバージョンは、この反省を踏まえて、好きなこと・得意なこと・やりたいことをしている方々の手助けとなる「サービス」に進化させたいと思っています。

まずはBluebookに掲載したご自身のコンテンツを、日常の仕事において無理なく活用できるように、Bluebookは今後、名刺と一体化したサービスに進化していく予定です。ご期待下さい。

もしかしたら、この文章を読んで頂いているあなたも、現在試験運用中のポートフォリオ名刺を見て、僕のPAGEにアクセスして頂いたのかも知れません。
このポートフォリオ名刺を自分も使ってみたいな、と思って頂けたなら、この名刺サービス正式公開時にお知らせをお送りしますので、QRコードからご登録をお願いします。


増崎慶太さんのソシオリスト

6人が増崎慶太のソシオになっています

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